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素材としての写真

  • Toshio Inose
  • 2015年11月13日
  • 読了時間: 1分

依頼写真のほとんどは、素材として扱われる。

素材としての写真をどう扱うか。

そこに必要なのは写真を見ることが出来るかどうか、

違う言い方をするならば、撮影者とその写真をいかに共有できているか、だと思う。

新鮮なうちに使うことも、目的に沿ってトリミングすることも、

時には加工することすら、素材という存在を考えれば当然のあり方だ。

素材としての写真を「誰が撮っても同じ」だと思っている人は、

撮影者との共感と、その素材への理解が足りない。

どんな素材であれ、その扱い方で活かすことも殺すことも出来るのだ。

自分が展示する写真は素材では無い。

自分が展示する写真は撮影だけで完結しない。

現像、そしてプリントを経て初めて形として他人の目に晒すことが出来る。

結果としてのそのプリントを鑑賞者がいかようにも見てもらって構わない。

壁にあるプリントは撮影者の手と想いを離れ、もはや鑑賞者によって自由になる。

しかし、その一枚は撮影者の意思が続く限り、その一枚で終わるものでは無い。

 
 
 

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