写真業界について
- Toshio Inose
- 1月4日
- 読了時間: 3分
大きな撮影は、大手が引き受けるのは変わらない。特に都市部においては。
個人向けの撮影、BtoCは今年も混沌とする気がしている。
七五三、成人式、ウェデイングの前撮り等、多くの個人で撮影をしている人が、専業副業を問わずに引き受ける。
テレビや雑誌を見ていても、撮影技術の低下は感じる。
ディレクターが回す映像の下手くそさにうんざりするバラエティ番組。
フォーカスさえ合わせ続けられないカメラマンが回すお散歩番組。
ライティングすらできていない映画がウケてしまう。
インスタグラマーが撮影する雑誌、カメラの使い方を勉強中の女子がメーカーから機材を提供されて写真家を名乗る。
ガジェット系のYouTuberがいつの間にか写真家になっている。
知り合いの写真屋から聞いた話だと、都市部の写真屋がその周辺の市町に進出しているそうだ。
市町に昔からある写真屋は、学校写真等のスケールメリットがある撮影(アルバム作成)があるおかげで成り立っている。そこに都市部から格安の価格設定で撮影(アルバム制作)を請け負う業者が進出している。都市部の業者は縄張りを持たない。代わりに格安で多くの地域に進出、言い換えれば薄利多売で利益を確保する。地元の写真屋は、地元をナワバリにするゆえ、数をこなしていないから価格を下げることが難しい。(価格を下げれば、自らの身入りが減る。同じ地域の写真屋同士で縄張りを争うことは暗黙の了解でやらない。そうやって成り立ってきた)
10分5000円で撮影をする副業主婦に、専業の写真屋は価格競争を挑めない。
お客さんは、専業撮影と副業撮影の画像に差を見出せない、というか見出す気がない。自分が気に入れば良いのだから。
ユニクロのフリースを買うか、モンベルのフリースを買うか、程度の認識。品質の差は歴然としているが、「コスパ」という言葉に惹かれているのも事実だろう。(私もユニクロを買っている)
撮る側の高品質意識は、顧客のコスパ意識の前では意味がない。必要なのは、顧客の安くて気に入った、という感覚である。
撮影依頼を受けても、以前とは異なるものを感じる。
依頼する側に、はっきり書けば、写真から意味を読み取れる人が減っている。
目的に沿って、目的を明確に写している写真から、その目的と意味を読み取れていない。ゆえに、感覚に頼った「いいね」写真、俗にいう映えるものを選ぶ。つまり、感覚的に良いとする欲しい写真が撮れれば、専業のプロでなくても構わない。
依頼する側が写真から撮影目的と意味を読み取れなくなったら、撮影側はそれに応えることをしなくても良くなる。
写真は専門的な技術や知識、経験が必要でなくなった、というデマカセが世の中に広がってしまった現在、誰もが、誰でも撮れると言ってしまう。それを魔に受けた趣味の撮影の人たちが、写真を仕事にしていく。
いつの日か、多くの人が写真は専門的なものだということに気づくことはないと思っている。
だからこそ、出来る技術を安易な考えに置き換えないように、忘れないようにしたいと考えている。
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