写真ぐらいのものだろう
- Toshio Inose
- 2024年10月24日
- 読了時間: 2分
趣味が収入になるのは、写真くらいのものだろう。
料理が趣味だからといって、他人に料理を振る舞って収入にする人はどのくらいいるのだろうか?
髪を切るのが得意だからといって、他人の髪を有料で切る人は多くはないだろう。
その逆も然りで、結婚式に料理が得意な友達が来るからといってお客さんに出す料理をお願いする新郎新婦は少ないだろう。
写真は誰にでも撮れる、と言われて久しい。
趣味の人が副業とし、副業だった人が写真を仕事にする。
写真で生計を立てるに資格も免許もいらないから。
ただ、今の現状を見ていると、職業としての写真撮影は成り立たなくなるだろうと思う。
多くの素人が自分の判断でお金をもらい、本来は専業がやるべき撮影を請け負ってしまう。当然、写真の品質は下がる。
事物を満遍なく撮る人もいれば、犬猫や子供しか撮れない人も有料でプロを名乗る。プロの意味がなくなっている。
写真ぐらいのものだろう、素人が素人に発注し、市場の相場を引き下げていく業界は。
発注するにも良し悪しが判断できず、スマホとカメラの違いもわからない。
受注する側も発注側の無知に甘え、市場に中途半端な画像を垂れ流す。
素人は仕事を受けるな、素人に発注するな。結局は高くつく。
こんなことはもう通用しない時代になった。
写真で生き残れるのは、大きな広告会社から単価の大きい仕事を定期的に受注できる人か、地元の小中学校などの卒業アルバムを毎年受注できる地元の写真館くらいのものだろう。ただし、後者は子供が減ることにより廃業リスクは上がっている。
自分に出来る撮影は何か?
自分が作れる写真にはどんな価値があるのか?
そんなことを考えても仕方ない時代なのだ。
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