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受用不盡

  • Toshio Inose
  • 2016年12月7日
  • 読了時間: 2分

繰り返し同じものを撮ることが好きである。言い方を変えれば、同じものに興味を持ち付けているというか。飽きないのである。さらに言い方を変えれば、同じものしか撮ってない。

そういうことを表す言葉ってないかな、と思っていたところに「受用不盡」を見つけた。禅話に出てくる言葉のようで、正確には私の考えていたイメージと言葉の意味は違うのだが、なんとなく似てる気がした。

写真は外に向けていかないといけない。メディアだし、ある種の人にとっては表現手段だし。だから、パーソナルブランディングに長けている人や、認められそうなコンペに応募しまくる人、決められたテーマや審査員の好みに合わせて写真を作る人が有名になる。外に向けてなんぼ、ってことだろう。でも、私の場合は違う。写真をやればやるほど内側に向かっていく気がしている。

陳腐な言葉なら「自分と向き合う」とかになるのかもしれないが、とにかく写真を続ける、続けようと考えるとその意識はどんどん内側に向かっていく。自分の内側なんてそうそう変わるものではないし、撮りたいものなんてあれもこれも・・ってことにならないので、やはり同じものを撮りたいと思ってしまう。

同じものを撮ったからといって、以前の写真と同じになるかといえば、そうでもない。自分の写真を見返すと、使っているカメラもレンズもフィルムも変わらないし、撮っている立ち位置も角度も同じことが多いのだが、やはり前回のそれとは違う。簡単にいえば、光と強さが違うし、光が違えば見え方も変わるし、それはテクスチャーの見え方だったりするわけで、やはり同じ写真にはならない。そういう些細な、他人にとっては「どっちも同じじゃん」的な部分に違いが見えてしまうのだから、飽きるわけがない。さらにプリントのやり方は無限だ、飽きるわけがない。

内に向かう写真、そしてそのあり方を表す言葉を探さねば、と思うことも飽きないんだろうと思う。

 
 
 

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