top of page

No Title.

  • Toshio Inose
  • 2019年1月17日
  • 読了時間: 2分

 昨年末に真岡市のまちかど美術館にて「Summer on record」という写真展をやらせてもらった。昨年は1月にも同じ場所で同じテーマで展示させてもらった。12月の展示は関係者にも展示プリントを提供してもらえたので、バラエティに溢れる展示になったように思う。展示最終日には前回同様、壁のプリントは欲しい人に持って帰ってもらった。トータル500枚越えのプリントで埋まっていた壁は、展示会後、見事に白く戻った。

 とある市内の夏祭りの写真にしか過ぎないが、全ては地元の人たちのための写真だ。私がとったが、私の写真ではない。そこには撮影者の意図や思考を写し込む余地はなく、写し込んだとしても全体からみれば大した意味もない。祭人は撮影者のことなど考えていない。撮影者は目の前の光景を撮るしかできない。だから、良い。

 意図的に作り込む写真も良かろうし、アイデアとそれを実行する技術には感服する。そういう写真が新しい写真の視覚を広げてくれている。だが、表現者たる人が撮る写真の真逆にある、目の前の光景を写し取るだけの写真、そんな写真があっても良かろう。その瞬間は戻ってこない。何度も繰り返される指示通りの笑顔より、何もない、そのままの、何気ないその一瞬を撮れたら、と思う。

 さらに言えば、そんな写真から情緒を抜くことができれば。

 
 
 

コメント


Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

© 2023 by ADAM KANT / Proudly created with Wix.com

bottom of page