床屋談義
- Toshio Inose
- 2022年10月6日
- 読了時間: 2分
ネット記事への書き込みは、ろくなものが無い気がしている。床屋談義程度、こたつ談義レベルの個人の感想が堂々と書き込まれてるのを見ると、引いてしまう。
ただ、そういう誰でも考えや意見を公表できる場として効能があることは分かる。しかし、それにしても程度の低い書き込みが多いのも事実だと考えている。そして、悪貨は良貨を駆逐する。テレビがラジオに置き換わったように。
写真関係については、ネットに見られる個人のブログ程度の書き込みに、真実なんてない。私の書いてることも含め。アマチュアのカメラやレンズのインプレッションなどは、まさに居酒屋レベルの与太話で、本当のところが知りたければメーカーの開発者に話を聞くしか無いのだが、メーカーの開発者インタビュー等のYouTubeは視聴回数がえらいひくい。つまり、世の中の多くの人が知りたいのは、本当のことではなく「自分が知りたいことだけ」なのである。そして、この「自分の知りたいこと」は個人の偏見と趣味嗜好であり、そこ「本当のことを知りたい」という考えがなければ、ただの床屋談義の口プロレスで終わる。
あらゆる分野がアマチュアに席巻されている。日本はアマチュア天国だと思っている。テレビCMでやってる「得意を売りたい」とかいうあたり、プロに支払うよりも安くあげたいという考え自体がアマチュアのそれで、そこには「アマチュアに安く発注したから、この程度の仕上がりでも仕方ないよな」という諦めと、そもそもアマチュアとプロの仕事の差の区別がつけられない無知が根底にある気がする。この無知は、ネットの書き込みそのものなのだろう(一つの記事に、その内容の素人が自分の思い込みと浅い知識で全世界に向けて、自分の考えを公表し、それを許していることに慣れている怖さ)。
知識をネットで集め、何も知らない人からお金をもらいながら経験を積んでいると考えているアマチュア。その先にあるのは、何も知らない素人の増加と、結果としての成果の品質の低下なのだろう。
追記:もちろん、プロを凌駕する技術や知識を持つアマチュアさんは、ネット上にたくさんいることを明記しておく。
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