令和4年荒神祭写真展「HOLD」
- Toshio Inose
- 2022年10月16日
- 読了時間: 2分
標記の展示を10月16日に終えた。16日間の展示だった。
私の写真は「作品」ではない。家族のアルバムのような「写真」が、私の理想だし、私が好きな写真だ。だから、展示にはキャプションもステートメントも、写真のタイトルもつけない。私は、写真の説明が好きではない。
祭の写真展に来る人のほとんどは、展示している写真に写っている祭人である。彼らには写真の説明はいらない。なぜなら、自分達が写っている写真の場所と時間にそこにいたから。彼らは、自分の記憶を辿るだけで、展示している写真を深く深く読み取ることができる。
いつの頃からか、ただの写真が「作品」になった。自称写真家がSNSに溢れている。昨日カメラを買った人も自分の写真を「作品」と呼ぶ。個人の自由だと思う反面、自由が過ぎる、とも思う。工芸品や芸術作品で写真くらいのものじゃないか、昨日今日始めた写真を「作品」呼ばわりして許されているのは。
「作品」というレッテルに縛られ、ステートメントに普段使わない単語を書き込んで、誰か知らない人の「素晴らしいですね」という通りすがりの社交辞令を欲しいがために、写真の自由さを失う輩が写真家なのではない。
展示している写真を指差して「自分が写ってる」「写ってるの友達っす」「ここに居たよ!」「そうそう、この時はこんな感じだった」「パパが写ってるよ!」一枚の写真から、鑑賞者が自然とストーリーを話し出す。こんな素敵な鑑賞はないだろう、しかも当人が写っているのだ!
写真って、やはり良い。
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