何と呼ばれたいか
- Toshio Inose
- 2022年11月5日
- 読了時間: 2分
今日、話している時に気づいたこと。
作家は今日から名乗れるが、職人はそうはいかない。
私の写真の先生曰く「写真家は今日からでもなれるよ。写真家と名乗ればなれるから」。まぁ、そうなんだろう。だから、今の時代SNSには写真家がたくさんいる。しかし、カメラマンはそうはいかない気がする。
よく「○○写真家」という専門的な撮影をする(しかできない?)人がいるが、カメラの前にある被写体は誰にも平等で、シャッターを押せば写るのに、なぜ「猫写真家」とか「鉄道写真家」とか呼ばれたいのか不思議だ。自分が苦手とする撮影はあるにせよ、何も自分の撮影を制限しなくても良い気がする。専門にすればその撮影に秀でていると思われたいのかもしれないが、カメラマン的には「え?あなた、写真撮るのに決まったものしか撮れないの?」と思う。写真家は自称でイケるらしいので、まぁ、そんなことになるんだろう。(ただし、撮影者が情熱を持ち続けてそれしか撮らない場合もあるので、一概には言えないかもしれない。)
作家は、褒めてくれる友達と思いつきと勢いと個人的な情熱で何とかなる気がするが、職人には基本的な技術とか精神とかが必要。(撮りたいものがあっても技術が足りずに撮れないケースはある)何をするにも、基本的な技術の上にしか成り立たない「何か」があるように思う。その「何か」は自分が進みたい道だったりやりたいことだったりするわけだが、その境地は思いつきや勢いだけではたどり着けないんじゃないか、と考えている。
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