写真を拡張なんかしなくてよい
- Toshio Inose
- 2022年1月27日
- 読了時間: 2分
とある写真家さんがYouTubeをやっているのだがその中で「写真を拡張」するなんてことを話してるらしい。らしいと言うのは、私はそのYouTubeを見ていないのでタイトルとコメントから推測している。なぜ推測できるかといえば、その人は以前から同じことを繰り返し話しているから、あぁ、また言ってる、、、と分かるのだ。
写真を拡張するとは、要は写真は二次元だが三次元にも展開しているもののことであり、そこに現代写真を見出しているらしい。三次元にはインスタレーションも含まれているようだ。根本的に変な話だと思っている。
二次元だから写真なのであって、三次元になったら、それはもう写真じゃなくて別の何かである。せいぜい、立体視できる3D写真くらいまでが写真である。
写真の定義や写真の意味を広げていけば、あれもこれも全て写真。既知の写真の概念をひっくり返そうとして、そんなことを言っているようにしか思えないが、写真の概念やあり方をひっくり返すために、写真じゃない何かを写真に取り込もうとするのは、アホらしい。
それまでの写真の概念をひっくり返した、写真を解体したのは中平卓馬、森山大道。両者ともに二次元の写真の中で、写真と向き合っていた。
今の時代、情報が多すぎる。多すぎる情報をあれもコレも繋ぎ合わせることは一見すると発見だが、そんなんはただの思いつき、ひらめきの類でしかない。ひらめきに本質は見出せない。本質とは、自己の内部と向き合い、深く深く内省することで試行錯誤を繰り返した先にしか見えないと考えている。つまり、本質とは自分の中から見出すことで、意味を拡張しても何も見つからない。形骸化した写真という概念と、答えのない口プロレスが好きなオタク的マニアを喜ばせるだけだ。
案の定、件のYouTubeのコメントは、その人を崇めるシンパばかりに見える。宗教化した物事の先にあるのは、退廃だけだ。
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