暗室とデジタル
- Toshio Inose
- 2020年5月27日
- 読了時間: 3分
2020年5月は、毎週末、フィルムで撮影して、翌週に暗室でプリントしていた。作品云々ではなく、ただの普通な(外出自粛ではあるが)自宅部屋内での写真である。
使うカメラもレンズも普段は出番のないものばかりだったし、引き伸ばし機も引き伸ばしレンズも持っているものを取っ替え引っ替えしながら使えたので、結果的にいろいろな比較が出来ていた。当たり前の話だが、撮影時に光を作っておけばプリント時にどんな良い影響があるのかも再確認できた。(逆説的には、デジタル撮影でいかに手を抜いているか!)
撮影レンズも引き伸ばしレンズも色々な違いはあるにせよ、古いレンズ(例えばヘクトールは1932年?のものだし、1000Fのテッサーは1950年代、ヤシカCONTAXのプラナーだって1970年代だ)は、その状態が当時のものとは比較にならないものもあるし、レンズの特徴について言葉にするのは意味がないと思っている。印画紙にプリントすれば、レンズの色々がそのまま写されているのは、面白い。
フィルムの像を印画紙に写しとる暗室作業は、写真にとっても意味があると思っている。
フィルムを選び、現像液と処理方法を考えて実践し、引き伸ばし機と引き伸ばしレンズ、印画紙を選択して、像を拡大して印画紙に焼き付ける。そのプリントは、デジタルカメラで古いレンズを使って撮影した像とは明らかに違うのだが、暗室を経験していないとなかなかわかりづらいことだと思う。昨今、フィルムやアナログが好まれているようでカメラ雑誌などでも古いレンズのインプレッション(趣味で撮ってる人のブログとか動画もある)を散見するが、どれもモニター上でのことを語っている。
決定的な違いは、印画紙上の像は銀の粒子で三次元であるが、モニター上の像は平坦な二次元なのである。
銀の粒子は印画紙状に立体的に散らばっているのに、デジタルデータ化されると真っ平らなモニター上にピクセルでしか表現されないのである。
もちろん、銀の粒子は印画紙の像を見ても立体的に見えるわけでもなく気の持ちようじゃないか?という気もするのだが、やはり、この部分は暗室とモニターの決定的な違いだと考えている。
古いレンズの収差は、今のデジカメや後加工ではすっかり補正されてしまえるし、そのレンズだから出る色の部分もデジカメ側の処理次第なので、古いレンズを使っているから撮れる画像なんていうのも、実はその言葉ほど意味は持っていない気がする。古いレンズを使っているのにフィルムシュミレーションを使い撮影し、後処理でレンズ補正すれば、そのレンズを使って撮った意味は撮影者の自己満足でしかない気がしている。まぁ、それも楽しみの一つでいいのだが、やはり多くの写真の好きな人が暗室に戻ってきてくれる方が好ましいと思う。その方が、感材も手に入りやすくなるだろうし。
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